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ごあいさつ
それをきっかけに、ちょくちょく釣り場に通う様になった。1年くらいは全く釣果に恵まれる機会は無かったが、ただ一度だけ、丹沢湖に注ぎ込む世附川(よずくがわ)へ行ったとき、上流の小さなダムで魚を掛けた事があった。
竿先から響く魚信を感じ、水面下で一瞬キラッと魚体が光り、それは確かにに魚がヒットした証だった。焦った瞬間、さかながバレてセミの鳴き声が耳に入ってきた。アワセる事を知らなかった…
魚をバラしたことは悔しかったが、それでも本当に金属で釣れる事が分かって、それはそれは興奮したものだった。 そんなこんなを繰り返しながら、あくせく釣行を繰り返し、どれくらいの月日が流れたかは定かでは無いが、ルアーで初めて得たワタシの釣果は北海道である。
釣りを始める時に先輩に選んで貰ったファミリールアーセットのタックルはまだ大事に使っていた。ファーストだのスローだのトップだのボトムだの、そんなこだわりも知識も無かったし、 と言うかそれしか持っていなかったし、新しいのを買う金が無かったからそれを使うしか無かった。
当時天馬街道はまだ工事中で、野塚トンネルを忙しく行き交う工事車両の直ぐ近くを選んで、脇を流れる豊似川に入渓した。クマが怖かったから、近くに人の気配を感じるところが安心だった。雨が降っていた。
ちょっとしたプールにルアーを何投かした時、ルアーに魚が付いてきた。ただ引いたルアーに魚がくっついていたという感じで、なんとも印象の薄い初釣果は、25cm程の綺麗なヤマメだった。
宿泊していた親戚の家にヤマメを持ち帰って自慢したが、けげんそうな顔をされた。
その日の夕食の食卓にあげてもらったが、手を付ける人は誰もいなかった。自分で片づけようと箸を付けたけれども全く美味いものではなく、なんとなくサカナに申し訳なかった。
竿先から響く魚信を感じ、水面下で一瞬キラッと魚体が光り、それは確かにに魚がヒットした証だった。焦った瞬間、さかながバレてセミの鳴き声が耳に入ってきた。アワセる事を知らなかった…
魚をバラしたことは悔しかったが、それでも本当に金属で釣れる事が分かって、それはそれは興奮したものだった。 そんなこんなを繰り返しながら、あくせく釣行を繰り返し、どれくらいの月日が流れたかは定かでは無いが、ルアーで初めて得たワタシの釣果は北海道である。
釣りを始める時に先輩に選んで貰ったファミリールアーセットのタックルはまだ大事に使っていた。ファーストだのスローだのトップだのボトムだの、そんなこだわりも知識も無かったし、 と言うかそれしか持っていなかったし、新しいのを買う金が無かったからそれを使うしか無かった。
当時天馬街道はまだ工事中で、野塚トンネルを忙しく行き交う工事車両の直ぐ近くを選んで、脇を流れる豊似川に入渓した。クマが怖かったから、近くに人の気配を感じるところが安心だった。雨が降っていた。
ちょっとしたプールにルアーを何投かした時、ルアーに魚が付いてきた。ただ引いたルアーに魚がくっついていたという感じで、なんとも印象の薄い初釣果は、25cm程の綺麗なヤマメだった。
宿泊していた親戚の家にヤマメを持ち帰って自慢したが、けげんそうな顔をされた。
その日の夕食の食卓にあげてもらったが、手を付ける人は誰もいなかった。自分で片づけようと箸を付けたけれども全く美味いものではなく、なんとなくサカナに申し訳なかった。
だいぶ経って、そこそこ釣果に恵まれるくらいに上達はしたが、ルアーを持って小渓流にばかり通っていたので、釣れるサイズは15cm程度の小さなものばかり。
最初に植え付けられた芦ノ湖の印象が払拭出来ず、あれ以来湖に寄り付く事は無かった。
有る時、丹沢の渓でフライラインを振っている釣り人と話しをする機会があった。
『フライフィッシング』は何となく知っていたが、キャスティングなんてものもフライボックスにビッシリと収まった小さなフライも間近で見るのは初めて。 全てが真新しく興味津々で、しげしげと覗き込んだ釣法に釣り心がかき立てられた。
自分より遙かに年上の大人の人が、フライラインを飛ばす事に一生懸命になって、時おり遠くに送り込んだフライが「ふわふわ、ポテッ」と頼りなく水面に落下する。そのさまは見ていて理由なく笑ってしまった。
あれから何十年もの月日が流れたが、毎年2月の声を聞く頃になると何となくソワソワし出し、来る春の解禁日に思いを馳せてフライを巻きためる季節を何度経験した事か。
ただひとつ、今もなお健康で無事に釣りを続けていられる事に感謝したい。 釣りするきっかけをくれた先輩にも、それぞれのターニングポイントでいろいろとアドバイスをくれた友にも、そして、長い間文句一つ言わずに釣りに出させてくれたカミさんにも。
2018年02月27日 記
有る時、丹沢の渓でフライラインを振っている釣り人と話しをする機会があった。
『フライフィッシング』は何となく知っていたが、キャスティングなんてものもフライボックスにビッシリと収まった小さなフライも間近で見るのは初めて。 全てが真新しく興味津々で、しげしげと覗き込んだ釣法に釣り心がかき立てられた。
自分より遙かに年上の大人の人が、フライラインを飛ばす事に一生懸命になって、時おり遠くに送り込んだフライが「ふわふわ、ポテッ」と頼りなく水面に落下する。そのさまは見ていて理由なく笑ってしまった。
あれから何十年もの月日が流れたが、毎年2月の声を聞く頃になると何となくソワソワし出し、来る春の解禁日に思いを馳せてフライを巻きためる季節を何度経験した事か。
ただひとつ、今もなお健康で無事に釣りを続けていられる事に感謝したい。 釣りするきっかけをくれた先輩にも、それぞれのターニングポイントでいろいろとアドバイスをくれた友にも、そして、長い間文句一つ言わずに釣りに出させてくれたカミさんにも。
2018年02月27日 記
Copyright 1999 ADAMS Yamanashi JAPAN
当時勤めていたコンピュータ会社の先輩から、オマエも一緒にやらないか?と誘われた事が釣りを始めるきっかけだった。
釣りと言っても釣法はルアー。聞くと金属の疑似餌を投げて魚を釣るのだという。当方が描く釣りのイメージは、あの気持ちの悪いミミズとか、それに似た生き餌を鉤に掛けて釣るものと思っていただけに、ほんとか?と思った。
さっそく先輩に付き添って貰い、渋谷の上州屋へ釣り道具を買いに行った。
選んで貰ったものは、ファミリー向けのルアーセット。プラスチックで出来た安物のスピンキャストリールと、5グラムくらいのスプーンが2つ3つ付いていた。3千円くらいだっただろうか。
付属のスプーンを眺めながら未知なる釣りへの思いを馳せて数日、いよいよ週末。先輩に連れて行ってもらった釣り場は芦ノ湖。
こーんなだだっ広い湖で、こーんなに小さなルアーを泳がせて、ほんとに魚が釣れるのか?と半信半疑だった。まるで東京湾の中から百円玉を探し出すようなものではないか?釣れる気は全くしなかった。
周りに習ってキャストを繰り返し、1日投げ続けた。あんのじょう釣れなかった…
そもそもこんな金属にだまされる魚は、どこの世界にもいるようなアタマの弱いヤツがたまたまかじりつくだけの事だろうと思った。 ただ、引き戻ってくるルアーのあのフラフラする動きは、眺めているだけで心が躍った。