[ホーム/"ヤマトイワナ"探釣記]



2001年9月14日〜17日 : 早川水系 E川 E−1、E−2支流


夜半から小康状態を保っていた天候は再び崩れ、バラバラと打ち付ける雨音と、脇でドードーと流れる渓の音が耳障りで午前
2時半に目を覚ました後は、しばらく寝付けない状態が続く。小便を垂れたいのだが雨に濡れるのがイヤで我慢した。

本格的な探索を開始、のハズだったが...

翌2日目、明け方4時位からウトウトし、ようやく白みかけた午前5時にテントから這い出す。
夜中に満天の星空を見上げた時には「よし、明日が勝負だ」と気合いが入ったが、残念な事に今朝はガスに覆われ、移り変わりの激しい天候は山岳帯特有。
顔を洗い、食事の準備をする。豚肉とキムチをブチ込んだ炒め物に、昨日移動の際に歩きながら摘んだ木イチゴをデザートにビタミンCの補給。ほんとに木イチゴでいーんだろーか...
さて今日は、昨日ヤマトを釣った地点から上流を探索し、一体何処まで彼らが生息しているのか、何匹くらいの生息数なのかをなんとなくでも知りたい。
気温11度、水温14度。曇り時々晴れ。
渓に入ると昨日よりも水量が増えているのは明らか。オマケに水も刺す様に冷たい。
相変わらずポイントの絞り込みに難儀しながら先を進む。巻きの裏、岩と岩のわずかな隙間、そして、かろうじて残る流芯脇の淀み等々...セコイ釣りだが仕方がない。
それでも魚は居た。結構な数に写る。が、いずれもアダムスに近寄ってきてはUターンされ、たまに反応があってもフッキングには至らない。1度ミスるともう2度とアタックして来る ヤツは居なかった。台風の後遺症か?はたまた昨日から降り続く冷たい雨の影響か?
しびれを切らしたワタシは、途中からロングリーダーに変え、アプローチ方法も変えた。姿勢を落とし、そーっとそーっと。これが功を奏したのか、ポツリポツリと釣果があがる様になる。 型は大きくても21〜22cm程と細かいが、手中に収まったのは全て目的のヤマトだった。

ヤマトを釣って初めて味わう無力感

だが、釣れば釣る程、ヤマトに対する悲傷感が先に立ち、何とも言えぬ感傷にヤル気が失せて行くのが判った。
こんな過酷な環境下に追いやったのは我々人間だ。その原因を作った人間の1人が、再び彼らの聖域に入り込み、針をブッ刺しいじめてよい道理は無い。
この時初めて、ヤマトイワナに同情した。
釣っても釣っても感動は覚えない。今までの釣果を思い返しても何も感じない。
午前11時。再び冷たい雨が降り出す。寒さが体の奥まで染みこみ、フライを結ぶ指は自由が利かなくなった。
その後、暫く釣り上がるも惰性の釣りは否めず、この頃から先を進むべきか迷う。もはやヤマトがどの地点まで生息しているのかなどどうでもよくなった。
自分との格闘が続く事30分余り、普段なら何でもなく映る2m程の滝を目の前に、心の中で「オ・ワ・リ・ッ」と叫んだ。これにて、かろうじて持続していた緊張の糸が切れ、 午後1時過ぎ、撤退。

ベースに戻ると辺り一面は水気を含み、とてもたき火を起こせる状況に無く、ガスバーナーで暖をとる。
昨日の疲れが残っているので有ろうか。午後はまだタップリ時間が有るのに、無力感にさいなまれて何も行動に移す気になれなかった。有り合わせの食材をぶち込み、グツグツ音を立てる ナベをボーッと眺めながら酒を飲んだ。食材を取り出した時、少し腐った香りがしたが気にせず食う。
#酸っぱくてマズい...
それから翌朝まで、テントの中でじっとうずくまって過ごした。

翌3日目。気温12度、水温不明。雨。
単独での山籠もりが3日ともなると、そろそろ下界の情報が気になり出す頃だ。特に今はアメリカ同時テロの事件で世の情勢がどう変化するかの微妙な時に決めた釣行だったし、 家族に何事も無いだろうか。彼女らの無事も気になる。
相変わらず、心身のボルテージが上がらない。釣りに対する意欲が希薄で、いつもなら見る風景・感じる流れ全てが新鮮で面白かったのに今は何も受け入れたくなかった。今回ヤル気に満ちて 挑んだ目的を考えれば、荒涼な寂寥感はとっても辛いことであった。
下界はTシャツ1枚で過ごせる暑さがまだ残っているのに、ここはフリースを着込まなくては寒さがこたえる。
もう夏も終わりだ。

うだうだとメリハリのつかない時間を過ごす事半日。
明日の朝には山を下る。もう2度と訪れる日は来ないかも知れない当地を思えば、何処にどんな個体が生き続けているかの記録を取るチャンスは今しかない。これは、とても大切な事なのだと 自分に言い聞かせる。
午後1時。虚脱している身体にムチ打って、最後に残った渓の状況を確認しに出掛ける。
のんびりと歩いた。
今、自分が見ている景色は、500年前、1000年前とどう変わっているのだろう。その当時は、どれくらいのヤマトが居たのだろう。巡るめく想いを胸に、適当なポイントから釣り始める。 相変わらず、雨は降ったり止んだりと忙しい。
シラ泡の切れ目に投入したフライめがけて、いきなり魚体が飛び出した。うす茶色くオレンジがかったそいつも、綺麗なマダラ模様が浮き出た純血のヤマトだった。
それから数尾のヤマトを釣り上げ、支流での生息も確認。
午後3時納竿。
ベースに戻る途中、久しぶりに差し込んだ薄日に気持ちが穏やかになる。が、しかしそれも一瞬。再び訪れた曇天の中を岩に飛び移りながら下る。やがて渓は激流から急流に変わり、 テン場へ到着したのは午後4時半だった。
下山に備えて不要な荷物は極力減らしたい。明日の朝食分を残して後は全てこの日の晩に食い尽くし、ベルトの穴を2つ緩めてテントに潜り込んだ。

4日ぶりに人里へ

翌4日目、午前7時起床。気温15度。晴れ時々曇り。
毎日の様に悩ませ続けてくれた雨も、今朝は降ってなかった。晴れ間の下でテントをたためるのが嬉しい。
もっとゆっくりしてからでもよかったが、ヤマト探索の目的を果たせたし、これ以上この地で釣りをする気にはなれなかったので、朝8時に慌ただしくテン場を発った。
ほぼ3日間とも雨に悩まされたお陰で、キャンプ道具は全て水を含んで結構な重量を稼いでいるらしい。来た時同様に荷物が重い。
帰りも単調な16Kmの道のりをひたすら歩き続け、正午過ぎ無事に車止めへ到着。5時間近くかかった。

振り返って

想えば、ヤマトイワナの存在を知り、神秘的なこの魚に出会えば出会う程、得体の知れない魅力に取り付かれ、山梨県内に生息するヤマトイワナにこだわり続けて、 早7年近くの月日が流れようとしている。
今まで、それらの河川にほんのわずかでも生息の可能性が有るなら、少しでもうわさが有るなら、どんな場所であろうと迷わず探索に出掛け続けた。
一旦火が付いたモチベーションは留まるところを知らず、我ながら今に至るまで、よくもまぁ無事だったと思う。
シーズン禁漁間近に迫った今、これまでの経験と蓄積データを兼ね備えて考えるに、早川水系に限らず我が山梨県下に於ける裸身で探れる"ヤマトイワナ生息有望河川”は、 今回訪れた渓を最後に、もう無いと断言してもよい。残る南アの未探索エリアは、正に一級の難所地帯を片手で数えられるだけしか残って無い現状にまで追い込まれた。
果たして、残された河川で彼らの雄姿を確認出来るか、そんな不安と同時に、正直ここまで生息河川が、生息数が少ないとは思ってもみなかった。例え、ワタシの知らない渓で 生き続けている個体が有ったにしても、それは喜びに値するレベルでは無く、「これ以上居ない」と明言するに等しい話だと思うのだ。
残念ながら、本企画の”ヤマトイワナ探釣記”のレポートは、大凡終わりが見えて来た様に感じる。
2日目以降ワタシが味わった寂寥は、こんな思いが渦巻いたからに他無い。いつも心の片隅で、人知れず何処かの渓でひっそりと多くのヤマトが生き続けてくれている事を願い続けていた。 今回出向いたこの渓は、そんな願望の最後の砦だっただけに、現実に直視した疑わざるを得ないワタシの正直な気持ちと行動だった。
そして、寂寥したもう1つの理由は、親近交配により絶滅の一途をたどる運命を、この時まざまざと感じたからに他ならなかった。
近い将来、ネイティブのヤマトイワナは、山梨から消え失せる日が必ずやって来る。

もはや、ほんのわずかな希望的観測も無いこの現実を、貴方はどう捉えどう考えるだろうか。

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